次亜塩素酸は、1800 年代の半ばから使用されてきた消毒剤で、塩素消毒の活性因子として知られている。次亜塩素酸が使用され始めた当時は、塩素水という名称で産婦人科医の手指消毒に用いられ、産褥熱で死亡する患者数を減少させたことでその効果が初めて確認されたという歴史がある。
現在では、家庭用の漂白剤、赤ちゃん用品の消毒剤、浴室用のカビ取り剤、配管洗浄剤などの主成分として幅広く使用されている。塩素消毒の代表例は、水道水の消毒である。遊離残留塩素濃度(水道栓で0.1〜1.0 ppm)を適切に管理すれば、各種の微生物に対しては殺菌および静菌効果を示す一方で、人の健康には無害である。
また、次亜塩素酸ナトリウムや高度さらし粉の希釈水溶液に加え、電気分解で調製した次亜塩素酸水や電解次亜水、次亜塩素酸ナトリウム水溶液に酸性溶液や炭酸ガスを機械で混合して安全に調製した弱酸性次亜水がある。これらの水溶液の主たる活性因子はいずれも次亜塩素酸であるが、各水溶液のpH の違いにより洗浄、殺菌、漂白、脱臭の作用効果は大きく異なる。これは、次亜塩素酸の解離度が水溶液のpH に依存して変化するためである。また、従来の次亜塩素酸水溶液の使用対象は設備・機器・食材などの「モノ」であったが、最近では浮遊菌・落下菌そして付着菌対策として「室内空間」を対象とした微生物制御法も普及し始めている。これは、希薄な次亜塩素酸水溶液を微細粒子状で噴霧する方法と気体状次亜塩素酸を放散させる方法に大別される。すでに多くの学術・応用研究が日本を中心に行われており、各現場で実用化が進行している段階にある。
本書が発刊される2021 年は、HACCP制度が適用される年度である。食品事業者は、一般衛生管理にえて、業種や規模に応じて「HACCPに基づく衛生管理」または「HACCPの考え方を取り入れた衛生管理」のいずれかの衛生管理を実施する必要がある。食品製造現場において、HACCPシステムを適切に運用し衛生的な環境を維持するためには、洗浄・殺菌技術が重要な役割を果たすことは言うまでもない。次亜塩素酸水溶液は、洗浄・殺菌操作に有効な衛生資材の一つであるが、やみくもに使用しても有効な使用効果は得られない。次亜塩素酸の作用効果を最大限に引き出すためには、次亜塩素酸の特性を十分に理解する必要がある。
本書では、次亜塩素酸系資材を取り扱う現場において食品事業者が理解しておくべき基礎知識と利用事例を中心に解説した。次亜塩素酸水溶液の利用においては、先ずは作用機序および安全性に関する正しい知識を持つこと、その上でどのようなシステムで活用するかがポイントである。すなわち、次亜塩素酸の利用技術にはサイエンスとエンジニアリングの融合が不可欠なのである。
本書では、製造方法を問わず、次亜塩素酸を含む水溶液を「次亜塩素酸水溶液」と総称することとした。また、経験の浅い若手研究者・技術者の方にも理解しやすいように、図表を多用し、平易な用語で記述した。
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